私のクリスタルストーリー

私のクリスタルストーリー

ふと人生を振り返って、

今まで自分に起こった出来事をありのままに眺めてみると、今に至るまでに数々の偶然が積み重なり未来が織り上げられていたことを実感します。

シンクロニシティと言われる奇跡的な現象は、実は誰の人生にも日常的に起きています。

ただその目に見えないパワーはとても繊細な働き方をするので、自分に起きている奇跡に気付かずに通り過ぎてしまう人がほとんどです。

私は現在クリスタルアドバイザーという仕事をさせていただいております。

クリスタルのパワーを使って、クリスタルの様々な使い方やパワーについてレクチャーしています。

毎日毎日好きなクリスタルに囲まれて、お仕事をさせていただいて本当に幸せです☆

私が小さなころからクリスタルが好きであったか、と言われたらまったくそうではありません。

水晶という存在を意識したのはインド人親子との不思議な出会いからでした。

そしてその出会いに始まり、数々の不思議な出来事が私を現在の仕事に追い立てた(駆り立てた?) 笑 ように感じます。

クリスタルの不思議なパワーを感じざるを得ないような出来事が次々おき、それを後押しするシンクロニシティが頻発したのです。

特に私を助けてくれたのは水晶の一種である金ルチル水晶。

金ルチル水晶はことあるごとに私に素敵な奇跡をプレゼントしてくれ、私がクリスタルと深い関わりを持つようになることを励まし応援してくれました。

金ルチルは私にとっていわば運命の石。

クリスタルの持つ深い愛と不思議なパワーを皆さんとシェアしたいので、私とクリスタルのストーリーをお話したいと思います。

 

インド人親子のくれた金ルチル玉

ある日我が家に父と息子のインド人親子がやってきました。

彼らを連れてきた妹に聞くと『道で会った』そうで、だからって何で???という感じで家族みんなびっくり。

ですが結局社交的でオープンな性格の母が歓待して、一緒にインドカレー作ったり、日本の話をしたりしてとても楽しく交流することができました。

その親子はインドから来た宝石商でした。

彼らは2度目に家を訪ねてきたときには、見たこともない程大きなルビーや美しいエメラルドなど、色とりどり豪華絢爛の宝石を私たちに見せてくれました。

定期的に日本を訪れては日本のお客様に宝石を売っているようでした。

我が家は3人姉妹で、母を加えると女4人がわいわいやっているのが面白かったらしく、また歓待したことに感謝してくれて、インド人宝石商親子は帰り際にある水晶玉を私たちにプレゼントしてくれました。

掌に丁度乗るくらいの、大きくて透明な水晶玉に幾筋もの美しい金のラインが貫いている本当に綺麗な石。

彼ら曰く『これはとても高価な石だから大切にしてね』ということでした。

しかし、宝石は好きでも、水晶の知識などはまったくない私たち家族には『綺麗な石』でしかありません。

結局金ルチルの丸だまはその後何年もリビングののテーブルのクリスタルの灰皿の真ん中にころんと置き去りにされていました。

後にクリスタルの知識を得て、金ルチルという水晶が大変人気のある石で、大きくて綺麗なそのような丸だまになると店頭で100万円はくだらない値打ちがあることを知り、本当に驚きました。

私の結婚が決まり、家を出る準備をしていた時のこと。

母がふと思い出したようにリビングのテーブルから金ルチルの水晶玉を持って来て『この石は綺麗だし、価値のあるものだと聞いているからあなたにプレゼントしてあげる』といって私に金ルチルを持たせてくれました。

そんな訳で、インド人親子がインドから連れてきた金ルチル丸だまは、私と一緒に引っ越すことになりました☆

 

金ルチルのペアブレスレット

14,5年前、私が結婚したころ、いわゆるパワーストーンブームが始まりました。

街にはパワーストーンを扱う店が増え、私の住む上野近辺にも『ガリンペーロ』という石を扱う店としては老舗である有名店がありました。

『ガリンペーロ』の店先を覗いているうちに、母からもらった金ルチルという美しい水晶にはブレスレット用の小さなビーズもあることを知り、自分用にブレスレットを制作してみようと。

ただビーズを繋げるだけではお数珠のようなので、自分なりにスワロフスキーを混ぜたり、グラデーションを付けたりして華やかに作ってみました。

一本作って何か足りない気がして、もう一本、今度は水晶の中に緑色の藻のような内包物を含むグリーンファントムという石を混ぜてグレデーションにして2本セットのブレスレットを作りとても気に入って毎日身に着けていました。

後で知ったことですが、金ルチルとグリーンファントムは中国では最強の金運アップの組み合わせとされていて、一攫千金的金運(投機的金運)の金ルチルと、蓄財運を司るというわれるグリーンファントムを併せると完璧な金運になるということで、伝統的に華僑の人々が用いる組み合わせなのだそうでした。

私はまったく無意識に作ったのですが、どうやらその2本のブレスレットは金運のペアブレスレットとなるらしく、そのせいかそのペアブレスレットは友人知人から好評で自分にも作ってほしい、という依頼を度々受けるようになりました。

あくまで趣味で楽しんでいたにすぎないのですが、段々石の魅力に取りつかれ、知識も増えて、ルチルの他にも様々なクリスタルを使ってブレスレットを作るようになりました。

その頃、たまたま紹介いただいた方の中に銀座並木通りに店を構える『オサダ』というセレクトショップの店長をなさっている方がいました。
その方は私のブレスレットに興味を持ってくださり、驚いたことに『オサダ』のサマーフェアとしてブレスレットを展開しないかと誘ってくださったのです。

早速サマーフェア用にブレスレットを作り足して出品したのですが、思いのほか良く売れたようで、夏の終わりに店に行くと、私のブレスレットを店の常設として展開したいと誘われました。

まさに金ルチルが運んでくれたご縁です☆

私のクリスタルストーリー?に続きます。

銀座2丁目という特殊な場所にある『オサダ』での物珍しい体験。

そして金ルチルはさらなるミラクルをプレゼントしてくれます!

 

金ルチルで馬が一着に!

『銀座オサダ』では楽しい体験を沢山させていただきました。

『銀座オサダ』が店を構えている並木通り銀座2丁目は銀座の中でも特に高級店が立ち並び、斜め前のビルには銀座を代表するクラブが何件も入っているという特殊な場所。

そんなオサダの売り上げの7〜8割を占めるのがネクタイで、それらはホステスさんからお客様へのプレゼントとして配られます。

店が開く前の時間になると何十本ものネクタイが飛ぶように売れていきました。

私のブレスレットはお店のママが自分のお店で働くホステスさん達にプレゼントで送ったり、ご自分のために買っていかれたり。

ご一緒しているクラブのお客様らしき男性に上手に買ってもらっている女性も多かったです。 笑

時々お店のお手伝いで夕方過ぎに店に立っていると、髪を美しく結い上げてお着物を着たり、長いカクテルドレスを身に纏った美しいホステスさんたちが列になって店の前を歩いて出勤していきます。

まるでドラマの世界のようでした。

そんな華やかな世界だったので、私もなるべく自分が与えられている売り場を華やかに作ろうと、以前インド人に譲ってもらった金ルチルの丸だまもショーケースに並べておきました。

『銀座オサダ』は沢山の古くからの常連客を抱えていて、その方たちはお店では現金を支払いません。どこかのタイミングでまとめて支払う、そんな感じでした。

そんな常連客の一人だったMさん。

Mさんは私の金ルチルのブレスレットを気に入ってくださり何本か購入してくださっていました。

するとある日店長から、Mさんがショーケースに並んでいる金ルチルの丸だまを買いたいと申し出ている、と連絡が入りました。

Mさんは馬主さんでもあったのですが、金ルチルのブレスレットを買ったとたんに成績の低迷していたご自分の馬がレースで一着に入られた、ということでした。

金ルチルのパワーを感じた!とおっしゃるのです。

一度はディスプレイ用だからとお断りしたのですが、『銀座オサダ』の大切にしているお客様だということもあり、結局お譲りすることになりました。

価格は店長が色々調べてくれて決めてくれ、かなりの高額でしたが店長は「銀座価格です」と。

この『銀座価格』ですが、銀座で物を売りたかったら安くしすぎてはダメだとよく注意されました。

銀座で売るなら「銀座価格にしてください」と。

銀座でブレスレットを売るためのコツは、銀座価格、男性用のブレスレットもきらきらを沢山入れて女性用のように派手に作る、この2つだと教えられました。

結局思わぬ形で金ルチルが売れたため、私はかなりの金額を手にすることができ、兼ねてから行きたいと思っていたクリスタルの大展示会のあるツーソンで仕入れをする資金ができました。

遠い昔、ふらりと家にやってきたインド人親子の置き土産である金ルチルがいつの間にか私が本格的に石のビジネスを始める資金源となってしまったのです。

これを知った母には、『母親から譲られたものを簡単に売ってしまうなんて』ととても怒られてしまいましたが。

 

世界の講師仲間たちとの出会い

クリスタルのブレスレットを作るようになってから、私は石の勉強を深めるために手に入るあらゆる関係書籍を読みました。

日本ではまだ良書が少なく、アメリカやイギリス、又はドイツなどにより専門的な本があるようだったので、アマゾンを通じて何か月もかけて入手したりもしました。

『銀座オサダ』にブレスレットを卸すようになってからしばらしくて、クリスタルの効果的使い方を教えるスクールが全くないこと、クリスタルというとパワーストーンと呼ばれ○○運 のように開運アイテムとしか認知されていないことを残念に思った私は、クリスタルの活用法を伝えるスクールである『アカデミーオブヒーリングアート』を南青山に開校しました。

SNSの知識など皆無でまったくのアナログ人間でしたから、友人に7,8万円でサイトらしきものを作ってもらい、ヤフーのリスティング広告を使って集客してみました。

しばらくすると、私のサイトはクリスタルというキーワードで常に1位表示されるようになり、その頃まだクリスタルのスクールが他になかったせいもあり、有難いことに沢山の生徒さんにご縁をいただくようになりました。

同時にその頃、ディーパックチョプラ博士の書籍と出会いました。

チョプラ博士はアメリカ在住のインド人の医学博士で、世界的ベストセラー作家であり、代替医療の分野では恐らく世界一成功しているリーダーと言える人物。

博士が伝えてくれる科学的分析に基づいた意識と現実創造の世界の話に感銘を受け、人間の意識の構造とスピリチュアリティの関わりや霊性の分析をもっと深く学んでみたいと思うようになりました。

ネットで調べてみるとサンディエゴのチョプラセンターでは認定講師の資格として専門的に勉強できるワークショップが用意されていることが分かり、全米の都市を飛び回って色々なワークショップに参加すれば基礎教科を1か月ほどで網羅し、1年後の認定試験に備えることができます。

早速留学を手配してアメリカに飛んだ私は、チョプラセンターワークショップの洗練された構成や雰囲気作り、客層の幅広さに感銘を受け、又様々な意義深い出会いもあり、その1か月は私にとって実に奥深い体験となりました。

チョプラセンターの講師仲間は世界中にいて、皆それぞれの道を真剣に追及している求道者です。

いまでも定期的に開催されるウェブでのミーティング、ウェビナーではいつもたくさんの刺激をもらいます。

基礎教科を修了してから1年後の試験まで、山のような課題図書が送られてきて(しかもインドの書籍が英語に訳されている本がほとんでとても読みにくく、日本語の本を購入しなおす必要がありました)ウェブ上の試験や講義のデモストレーションのテストもあり課題をクリアするのにとても苦労しました。

日本人の私に宿題を見せてくれたり、試験の答えを教えてくれたり(いけないことですが!)講師同士助け合うことができたから達成できたことだと思います。

そんな充実したアメリカ滞在の正に最終日に実に不思議な出会いがありました。

アリゾナ州ツーソンで毎年開催されるミネラルショーに行くことは私の夢でしたが、世界中から業者が集まり街中がクリスタルショップとなるツーソンに未経験の私が行くことは夢物語のようで現実的ではありませんでした。

しかし、そういう現状を一気に変えてくれる出会いがあったのです。

 

アリゾナ・ツーソンへの道

毎年2月に一か月に渡りアリゾナ州ツーソンで開催されるミネラルショーは世界最大規模。

この時期、世界中の石の業者がツーソンの街に集合し、自慢の鉱物やクリスタル、果ては化石まで持ち寄って競って販売し合います。

ツーソン市内の目ぼしいホテルは全てショー会場となり、幕張メッセのような会場がいくつもある、という感じで1〜2週間ではとてもまわりきれない規模です。

ツーソンに行って仕入れをしてみたい、とずっと思ってはいたものの、ネットで集められる具体的な情報はほとんどないし、周りにツーソンに行ったことのある人も皆無、ツアーのようなものない、という状態でした。

まずこの時期ツーソンに宿を見つけることの難しさ、土地勘が無い上に会場間を結ぶシャトルバスの情報や、系統だった会場案内もなく、空港からの移動手段も自分でレンタカーして移動するしかない・・・・チョプラセンターのように至れり尽くせりのリゾートとは訳が違います。

まったく行ける気がしない・・・そんな感じでした。

ところがそんな事態を一変してしまう出会いがアメリカ滞在の最終日にあったのです。

最終のワークショップはコロラド州デンバー、ウェスティンホテルにて開かれました。

最終日、全ての講義を終えて、挨拶も済ませ、フロントでチェックアウトも終えた私は空港に向かう前にランチを食べていました。

全行程を終えて、明日には日本にいる息子に会えるかと思うと、しばらく前から感じていたホームシックが最高潮に達していて、とにかく早く帰って子供の顔が見たい、そのことで頭が一杯でした。

その時一人の男性が私の隣に座って話しかけてきました。

チョプラセンターでは食事のときはフリーシートで思い思いの場所に座り、隣り合った人とカジュアルにおしゃべりを楽しむという習慣があります。

でもその時の私の心はすっかり日本に飛んでしまっていて、正直男性の話がまったく頭に入ってこないでうやむやな返事ばかりしていたように思います。

すると男性が『今度はいつアメリカに来るの?』と。

私はまったく予定が立っていなかったにも関わらず何故かとっさに

『2月にツーソンのジェムショーに行きたいと思っています。』と言ってしまいました。

すると彼は一瞬驚いたような顔をして、それからにっこりして

『僕はどこに住んでいると思う?』というのです。

それからテーブルの向かいに住んでいる女性を指して

『僕とワイフのアシュレーはツーソンに住んでいるんだよ』

『ツーソンに来るなら僕たちの家に泊まりなさい』と。

これが後にアリゾナの家族と思うほど親しくなったロブとアシュレー夫妻との出会いでした。

結局その時は名刺を交換して、偶然の一致に驚いたものの私はその会話のことはすっかり忘れていました。

ところが帰国後しばらくしてロブとアシュレー夫妻からメールが届き、自宅の写真を見せてもらったりお互いの情報交換をしているうちに、何度も誘われ・・・行ってみようかな?と思うようになりました。

でも周囲の人間が、ほとんど知らない人の家に泊まるなんて危険だからダメ!って猛反対すると思ったのですが、何故かみんなあっさりOK!で・・・・普通だったらあり得ない流れが段々現実的になってしまったのです。

勇気を出して行ってみると、ロブとアシュレー夫妻は車で1時間もかかる空港まで迎えに来てくれ(車があるからレンタカーは必要ない、と言うのです)1週間の間、ツーソン市内への送り向かい、仕入れにまで全て同行していただき、寝食全てお世話になりました。

ロブとアシュレーはツーソンの市内から30分ほど離れた美しい国立公園の中に素敵な家を持っていて、愛馬2頭と一緒に暮らしています。

ゲスト用の寝室に寝泊まりし、朝は雄大な公園を散歩。

山と砂漠、サボテンの公園には原住民が描いた絵文字や太陽のマークが残っていて、野性的な世界に浸りました。

ほとんど面識の無い日本人の私にここまで親切にしてくれるご家族がしかもツーソンで見つかるなんてほとんど奇跡に近いことだと思っています。

私なりに恩返しがしたいと思っているのですが、ご夫妻は何度誘っても日本には来てくれず、今のところ、滞在中に和食を作ったり、お茶会の真似事をして遊んだり・・・その程度のことしか出来ていません。

2年前に東北の大震災が起きた時には、『ちはるの家族中、全員いつでも来て好きなだけ滞在していいのよ。』と温かいメッセージをいただいて、パソコンの前で泣いてしまいました。

こんな風に、ツーソンの街とは不思議なご縁ができました。

なんとなく、ツーソンの街が向こうから私に向かって扉を開いて手招きしてくれた、そんな感覚です。